吉本隆明の言葉と「望みなきとき」のわたしたち

トピックス, 哲学・思想・心理・教育

12年9月中旬 刊行

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シリーズ 飢餓陣営叢書
タイトル 吉本隆明の言葉と「望みなきとき」のわたしたち
タイトル読み ヨシモトタカアキノコトバトノゾミナキトキノワタシタチ
著者 瀬尾 育生 著  聞き手 佐藤 幹夫
著者読み セオ イクオ
出版社 言視舎
発売日 2012年 9月 14日
本体価格 1800円
ISBN 978-4-905369-44-8
判型 四六判並製
リード文 3・11、9・11、そしてオウム事件。読めない情況にどんな言葉が有効か。吉本思想から、生きるよりどころとなる言葉を発見する。
解説・目次 3・11大震災と原発事故、9・11同時多発テロと戦争、そしてオウム事件。困難が連続する読めない情況に対してどんな言葉が有効なのか。
安易な解決策など決して述べることのなかった吉本思想の検証をとおして、生きるよりどころとなる言葉を発見する。
★社会は全体として均質な、陰りのない状態へ向かっている。……だがそれと同時に、……生きることの窮屈さ、息もつけないような不自由さ、あてのない不安やピリピリした不快や恐怖がある。……「望みなさ」は私たちの前にある問題や困難のなかにあるのではなくて、むしろそれらの「語られ方」のなかにある。その場所こそ、ひとりひとり言論と言語阜サの現場作業員であるにすぎない私たちにとって、決して離れることのできない最後の持ち場なのだ。「はじめに」より
★目次
1 吉本隆明の3・11言論と「超越」をめぐって〜文学者が「反省」すること、吉本発言の一貫性と原理性
2 『母型論』の吉本隆明と『戦争詩論』以後〜「嫌な時代」の国「、反・西欧的言語論としての『母型論』
3 全体性の認識と文学の主張する場所〜吉本思想の80年代以降について、「存在倫理」について
4 「オウム問題についての感想」ほか
著者プロフィール 1948年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。現在、首都大学東京教授。
詩集多数。評論『戦争詩論1910-1945』(やまなし文学賞)、最新刊『純粋言語論』(五柳書院)ほか、多数。


担当編集部より

本書は雑誌『飢餓陣営』(本書の聞き手でもある佐藤幹夫氏個人編集の思想雑誌)に、3回にわたって掲載された瀬尾氏へのインタビューを核として成り立っています。インタビューは2003年、07年、11年の3回に分けておこなわれ、その都度『飢餓陣営』に掲載されました。
本書は、あえて新しい回から遡るかたちで構成しました。3・11大震災と原発事故、その後の事態に対する状況への批評を、まず読んでいただきたいからです。マスコミの言葉、文学者たちの言葉、ネット上の言葉…その多くは、出来事や言葉の多様性や重層性を一義的なもの、平板なものに押し込めてしまおうとしているように見えます。だからいつか見たような単調な倫理ばかりが繰り返されるわけですが、それに対して吉本隆明氏の「反・反原発」の言葉は、存在のレベルと倫理(当為)のレベルの混同を厳しく批判するものであることが示されます。日本の風土ではいたるところであらわれ、ファシズムのように猛威をふるう倫理主義に対し、吉本氏はどんなに孤立しても闘ってきたわけですが、今回の事態でも同じ姿勢が貫かれていたといえるでしょう。
このような言語状況に対して瀬尾氏は、ハイデガーやベンヤミンの言語観を下敷きにした「純粋言語」という考え方を提示しています。日常のコミュニケーションのための言語ではなく、事物がそのまま語りだすような根源的な言語、日本語や英語といった民族語に先行する言語「ほんとうの言語」(氏の前著『純粋言語論』より)です。瀬尾氏はそういう根源的な場所から思考を組み立て直す試みをされているのだと思います。
「純粋言語」は、吉本氏が『母型論』で展開した「普遍言語」の考えとも通底します。この意味で、本書は2章の『母型論』論へと遡っていきます。『母型論』は吉本氏が遺していった最後の謎のような書物ですが、言語論中心に読み解いていきます。同時に「望みなきとき」つまりは「嫌な時代」の内実についても、2001年の9・11同時多発テロと戦争、90年代のオウム事件などを通して検証しています。
困難が連続する読めない情況に対してどんな言葉が有効なのか? 本書は、生きるよりどころとなるような言葉を、すくなくともそのヒントを提示していると思います。