過剰論 経済学批判
トピックス, ビジネス・経済12年1月下旬 刊行
タイトル | 過剰論 経済学批判 |
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タイトル読み | カジョウロンケイザイガクヒハン |
著者 | 高橋 洋児 |
著者読み | タカハシ ヨウジ |
出版社 | 言視舎 |
発売日 | 2012年 1月 30日 |
本体価格 | 2500円 |
ISBN | 978-4-905369-21-9 |
判型 | 四六判上製 |
リード文 | 経済諸理論を縦横無尽に活用!資本制システムがかかえる生産力過剰から、市場や金融、景気変動説やデフレ論の誤り等を丁寧に指摘。 |
解説・目次 | 経済諸理論を縦横無尽に活用する。 世間にはびこる経済危機の説明は間違っている! 世界金融危機と世界同時不況の根本原因は、金融の桝魔ネどではない。資本制システムが必然的にかかえる生産力過剰が根源的な問題なのである。 古今の経済理論について基本的な概念(ex.「資本主義」)を再定義し、問題の分析⇒打開策の検討・提起に活用。市場や金融の偏重、景気変動説やデフレ論の誤り等を丁寧に指摘。戦争論、教育論、人間論も。 ★目次 1 世界金融危機と世界同時不況の根本原因……新しい金融テクニック、政策上の書決定、人間心理のファクターほか 2 生産力過剰……資本制システムは強すぎる、新興国の資本主義化、過剰処理メカニズムほか 3 経済の、これから……生産力過剰の克服策ほか |
著者プロフィール | 1943年生まれ。現代社会の経済理論を探求し続けている。東大大学院博士課程修了、経済学博士。静岡大学名誉教授。 著書に『マルクスを「活用」する』(彩流社)のほか『市場システムを超えて』(中公新書)など。 |
鷲田小彌太さんのHPで『過剰論』が取り上げられました
鷲田小彌太さんの書評です。
出典http://www8.ocn.ne.jp/~washida/index.html
専門家が素人にも分かるように、程度を下げずにわかりやすく書いてくれた本に出会うと、もうそれだけで手放しで嬉しくなる。そしてそんな本に出会った。高橋洋児『過剰論 経済学批判』(言視舎 2012.1.31)である。
しかもこの著者はわたしの処女作『ヘーゲル「法哲学」研究序論』(新泉社 1985)を評してくれた最初の人で、故廣松渉さんの強い影響を受けた、年代も思想系譜もよく似た、よく知る人たちのあいだでは「よーチャン」とよばれる、性きわめて好ましい人である。といっても数回お会いしたにすぎないが。
高橋さんもわたしもかつてはマルクス主義者であった。高橋さんはいまなおマルクス主義者である。わたしは反共産主義者だが、マルクス者であるとは思っている。
マルクスのすごいところは、①資本主義=資本制システムの「自然力」(無意識)は過剰生産力にある、と理解したことだ。②だが資本主義は過剰生産力という盲目的な力をコントロールできないから、コントロールする内的機制(メカニズム)をもたないから、資本制を廃止しなければならないと考えた。正確には「仮定」(=想定)した。
わたしは①は正しく、②は間違っている、よくよく考えられていない、と考える。この点では、高橋さんも同様であろう。
問題は資本主義が不断に生みだす、資本主義であるかぎり不断に生みだされる過剰生産をどう「処理」するか、はたして処理可能か、ということになる。
高橋さんは、資本制を乗り越え可能なもの、廃棄可能なものとみなしているかどうかの、態度表明をしていない。ちなみにいえば、廣松さんは廃棄すべきだと考えていた。わたしは資本制は廃棄可能ではない、してはいけないと考えている。理由は二つあって、一、資本制は常に自分の限界を自生的に(盲目的に)超えて行く、この意味で資本制は廃棄不能である、二、資本制は過剰な欲望を無制限に発現しようという人間の本性(自然)に適合したシステムで、資本制の廃棄は人間本性の、したがって人間の廃棄を意味するからである。
したがって資本制の危機は資本の本性に適ったやり方で克服するのがいいし、人間の本性に逆らわない形で進めるほかないのだ。投機の縮小や欲望の過小で対応するととんでもないことになる。
高橋さんの『過剰論』を丁寧に読めば、このわたしの二つの主意をインプリシットに(隠れた形で)認めているように思える。したがって世界金融危機や同時恐慌の原因を、金融とりわけ投機の暴走とする誤りを、否定する。投機資本をバブルやその崩壊の元凶とするのは俗受けする誤謬であるのだ。投機家も「安く買って高く売る」というあたりまえの経済活動をしているので、生産者が高く売ろうとし、消費者が安く買おうとする行動(経済合理性)と同じである。
本書は一見すれば経済学者にしか読めないような体裁をとっている。ちょっと残念だ。しかし頁を追い、内容をひとつひとつ追って行くと、読みやすいだけでなく、とても具体的(リアル)なことがよくわかる。本書のように理論的と具体的が両立する経済学の本はきわめて少ない。とくに、「はじめ」と「環境ビジネス」でとりあつかう東日本大震災の論述に注目してほしい。情緒と時流に乗って「原発即時完全廃棄」などを叫ぶ学者連中とは違って、経済科学(サイエンス)の良識(ボンサンス)が見事に体現されている。
個々の論点やその解決策にはわたしなりの異論はあるが、本書は長い間かかって到達された高橋経済学の勝利ではなかろうか。古希を迎えつつある経済学者は良き人間理解者でもあったことを知って、とても充実した気持ちになることができた。ぜひみなさんにもお薦めしたい。
『過剰論 経済学批判』担当編集部より
本書は、現代社会が、とりわけ現代の経済が抱える根本的な問題を整理し、それに真正面から取り組んでおります。そのキーワードが「過剰」ということであり、その姿勢は人がよりよく生きるための経済および経済学を提示する=経済学批判、ということになります。
まず、我々が現在直面している大問題、世界金融危機と世界同時不況の根本原因は、巷間言われるような「金融の暴走」などではない、というところから説いていきます。もちろんそれを引き起こしたファクターとして「金融工学」に代表されるような金融の肥大があるわけですが、その根本を問い直します。また、歴史的な政策上の諸決定や、経済学が非科学的として排除する「人間心理」をも見据えつつ、資本制システム(資本主義)が必然的にかかえる生産力過剰に、根本原因を見出します。
つまり生産性を上げることについて、資本制システムは「強すぎ」るため、必ずや生産力過剰に至る、これは避けられない、ということなのです。危機の打開策をたてるにしても、この認識がなければ、根本的な解決にはなりません。
そしてこの過剰処理のメカニズムとしての恐慌や世界戦争といった歴史的な事象、大量消費・高度消費・過剰消費・浪費といった消費の問題を解いていきます。当然、いわゆる「資本主義」(この言葉の使い方にもきちんとした説明がなされています)の行方も検証していくことになります。
高橋氏は前著『マルクスを「活用」する!』で、マルクスにおいて現在も使える論理、使えない論理を峻別しましたが、今回もまた、昔の理論の焼き直しである安易な革命論、変革論を厳しく退けます。マルクスについての誤りだけではなく、随所で市場や金融の偏重、景気変動論やデフレ論の誤り等を解きほぐしていきます。
机上の論や単なる未来予想ではない本書の現実を生きるための論は、知的好奇心を刺激し、読み応え十分である、と確信しています。
こちらにも紹介記事があります
ちきゅう座 http://chikyuza.net/n/archives/19124