失われざる1990年代
トピックス, 近過去11年10月下旬 刊行
シリーズ | 鷲田小彌太書評集成 |
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タイトル | 失われざる1990年代 |
タイトル読み | ウシナワレザル1990ネンダイ |
著者 | 鷲田 小彌太 |
著者読み | ワシダ コヤタ |
出版社 | 言視舎 |
発売日 | 2011年 10月 26日 |
本体価格 | 2000円 |
ISBN | 978-4-905369-13-4 |
判型 | 四六判並製 |
リード文 | 本当にバブル崩壊以降は「失われた10年」なのか?混迷の時代を呼吸した本を通して1990年代を読む。「懐かし中枢」を刺激する! |
解説・目次 | バブルが弾け、湾岸戦争が勃発し、?A・東欧等の社会主義圏が崩壊した90年代の前半。高度資本主義が未知の領域に達するなかで、日本の社会は阪神淡路大震災で、地下鉄サリン事件で、金融システムの危機で、グローバル化で、揺れに揺れていた。しかし本当に、バブル崩壊以降は「失われた10年」なのか? 激動というより、混迷の90年代を呼吸した本たち。 本を通して1990年代を読む。「ああ、あったね」と、今回も読書人の「懐かし中枢」をくすぐります。 |
著者プロフィール | 1942年北海道札幌市生まれ。 1966年大阪大学文学部哲学科卒業。1972年大阪大学大学院文学研究科哲学・哲学史専攻博士課程終了。三重短期大学教授を経て、現在、札幌大学教授。哲学・倫理学を担当。 評論活動、エッセイ、人生書等の執筆も精力的に行なっている。 著書彩流社刊「鷲田小彌太《人間哲学》コレクション」、最新刊『イラスト・哲学「仮想(ヴァーチャル)」大討論会』ほか多数。 |
『失われざる1990年代』担当編集部より
書評をこれほど書き続けている物書きは、どれだけいるでしょうか
本書は『鷲田小彌太書評集成Ⅰ 甦る1980年代』の続編に当たります。今後は2010年までの集成でⅢ、特別編のⅣという4巻構成になる予定です。
ひとりの筆者の書評だけを集めてこれだけの分量になるというのは、それだけで何らかの意味や価値をもっています。集積以上の「何か」があるのです。
本はもちろん時代や環境に左右されない固有の世界をもっているわけですが、そこには微妙に時代の空気が混ざりこんだりしている場合があります。長い時間書評をしていれば、そうした空気を一緒に呼吸しているため、集められた書評には「時代の空気」が図らずも漂っていることがあるのです。
つまり本書は、本の批評を集めただけに止まらず、時代の「無意識」ともいうべきものにふれ、時代そのものを批評している側面をもっているのです。
「バブル」が弾け、湾岸戦争が勃発し、社会主義圏が崩壊した90年代前半。阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、金融システムの危機、グローバル化に揺れた90年代の半ば。激動というより、いまだに解決しない混迷が始まった時代でもあります。このへんの事情について、著者は「まえがき」で次のように言っています。
《九〇年を境にして多くの書き手の立ち位置が変わったことに気づかずにはおられない。時代の激変による。「反省」して「清貧」や「小主義」に立て籠もる人、居直って「財政出動」をはじめとする大判振る舞いを高唱する人がいた。》
《後に「失われた十年」といわれるようになった九〇年代は、わたしの目から見れば、新しい時代へ向かって産みの苦しみにある「変革する十年」と思えた。……時代を「変革」しようとする潮のなかに身をおこうとする一人の思考者の息づかいを感じてもらえば幸いである。》
簡単そうですが、本書のような試みは誰にでもできるわけではありません。