熊本県人

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12年2月下旬 刊行

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渡辺京二の幻の処女作 待望の復刊!
作家は処女作にむかって成熟すると言われるが、まさにその意味で渡辺京二の現在の豊かさを彷彿させ、出発点を告げる記念碑的作品。

タイトル 熊本県人
タイトル読み クマモトケンジン
サブタイトル 言視舎版
著者 渡辺京二
著者読み ワタナベキョウジ
出版社 言視舎
発売日 2012年 2月 20日
本体価格 1600円
ISBN 978-4-905369-23-3
判型 四六判並製
リード文 渡辺京二の幻の処女作、待望の復刊!熊本県人気質の歴史的な形成過程を丹念に掘り起こし、40年経った今なお多くの発見をもたらす。
解説・目次 渡辺京二の幻の処女作 待望の復刊!作家は処女作にむかって成熟すると言われるが、まさにその意味で渡辺京二の現在の豊かさを彷彿させ、出発点を告げる記念碑的作品。……「熊本県人気質」の歴史的な形成過程を丹念に掘り起こし、40年経った今なお多くの発見をもたらす力作。★刊行後四〇年も経てば何だか他人が書いた本みたいで、ほう、なかなかやってるじゃないかという気がした。……重賢公をめぐる諸人物や、小楠・桜園、さらには維新後の諸人物を論じた部分には、まぎれもなく若き日の自分がいる。しかも今の自分も、そのときの自分とまったく変りばえがしていない。まぎれもなく自分の本なのである。……「言視舎版へのあとがき」より
著者プロフィール 1930年京都生まれ。旧制第五高等学校を経て、法政大学社会学部卒業。評論家。河合文化教育研究所特別研究員。主な著書に『評伝宮崎滔天』(書肆心水)、『渡辺京二評論集成』全四巻(葦書房)、『北一輝』(毎日出版文化賞受賞、ちくま学芸文庫)、『逝きし世の面影』(和辻哲郎文化賞受賞、平凡社ライブラリー)、『江戸という幻景』『アーリイモダンの夢』(ともに弦書房)、『黒船前夜』(洋泉社・大佛次郎賞受賞)。『渡辺京二コレクション1、2』(ちくま学芸文庫)など著作多数。なお『コレクション』は、弊社刊『わたしはこんな本を作ってきた』著者小川哲生の編によるもの。


担当編集部より

渡辺京二著『言視舎版 熊本県人』ができました。
本書は1972年に刊行された渡辺氏のデビュー作の復刊です。約40年を経てはいますが、まったく古びていません。それは「熊本県人の気質」というものがどのように形成されてきたのか、その歴史的な過程を実に丹念に掘り起こしているからに他なりません。

一般的に知られる「肥後モッコス」という言葉は肥後人の精神性をあらわすものではない、それをいうなら「ワマカシ」ということになることを前提にして、肥後人の精神史の探索は、南北朝時代の菊池氏の動きから始まります。戦国期の加藤清正と小西行長の功績、藩政を確立した細川氏、その体制をめぐるさまざまな人物関係が論じられます。そして、幕末から維新史にかけて、横井小楠、林桜園、神風連などの人物や思想的な連関についての論述は、詳細かつ細やかであり、その後の渡辺氏の仕事を髣髴させるものになっています。

この意味で本書は、熊本を通して日本社会全体の精神史に触れるものであり、特に熊本県に関わりがない人でも楽しむことができます。

その例は多々ありますが、ひとつあげてみます。日本の辺境に住む人の精神構造を取り上げ、「一級上の支配者は憎悪なり反撥の対象となるのに対し、もう一級上の支配者はむしろ憧れの対象となる」ことを指摘します(p30)。そしてこれを敷衍し、仮説として南北朝期の「菊池氏のいわゆる尊王は、辺境にすむ者の都恋いではないか」と述べています(p48)。つまり菊池氏を圧迫する中央政権に連なる「一級上」の者たちとは激しく争うわけですが、「その一級上」にいる天皇に対しては憧れを抱き、それが「尊王」の行動となったということになります。

「辺境で権力から疎外されたものは、自己救済の手段として幻影を生み出しそれにあこがれる」(p49)という天皇論は、現在も活用できる考え方ではないでしょうか。